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よもやま話

犬を飼うこと

今年の3月3日は愛犬「楽紀(ラッキー)」の13回忌だった。と云っても法要などはしていない。
1992年生まれの雌のシーズー犬で16年半我が家で家族として暮らした。

楽紀が亡くなってから、「また犬を飼いたい」という気持ちは有ったが、彼女のインパクトが強すぎて飼うことが出来ない。
「死ぬと嫌だから」というのでは無く、楽紀と同じように家族として溶け込めるかが不安なだけだ。おそらく、新たに飼った犬と楽紀を比べてしまう事も不安要素なのだ。

動物病院に定期健診で連れて行くと楽紀はずっと尻尾を振っているのだ。それを見た飼い主が「この子はどうして喜んでいるのですか?」と言ってきた事がある。周りを見ると尻尾が下がって恐怖感を漂わせている犬ばかりなので不思議に思われたようだ。
「たぶん院長が好きなんです」と応えた。

診察台に上がると院長は「おまえは本当に良い子だ」と触りまくる。楽紀は喜んで尻尾が千切れんばかりに振っている。
そして、少し腰が下がると嬉ションをしてしまう。
「院長、わざとやったでしょう」と云うと、私の言葉など構わずに「おまえは、本当に可愛くて、いい子だな」と頬ずりしていた。

楽紀は「可愛い」と云う言葉が大好きだ。
散歩していて、すれ違う人が「可愛い」と言ってくれるのが当たり前だと思っているようで、「可愛い」と言ってくれないと、踵を返して追っかけようとする。どんだけナルシストなんだ!

家内の自転車の後ろ篭にお澄まし顔で座って出掛ける。見ていた人が「本物?縫いぐるみ? 可愛い!」と言ってくれると尻尾を振って振り向く。
「あっ、本物のワンちゃんだ。可愛い!」

犬は車の音を聞き分ける能力が有るようで、私が帰宅する時に近くまで来ると、楽紀は玄関に赴き、座って待っている。
玄関のドアを開けると、後からやってきた娘が私に飛びつき、「お父さん、おんぶ」と背中に飛び乗った。
それを見ていた楽紀は「私の方が先なのに」と怒る。
更に、如何にも「自分もおんぶして」の仕草をする。娘は「ラッちゃんもおんぶだって」
「えっ、犬っておんぶできるの」
斯くして、私は犬の初おんぶをした。楽紀は「へっへっへっ」と喜んでいた。

そもそも、犬を飼いたいと云ったのは娘だ。
「犬を飼うと、預かる人がいなければ旅行に行くことも出来なくなるけど、それでも良いのか」と家族会議を行い、それでも飼いたいと云うので飼うことになった。

一度だけ、楽紀を連れて旅行に行ったことがある。
その当時はペットが止まれる宿は多くは無かったが、群馬県の某所に連れて行った。
彼女にとっては旅行は楽しいものでも無く、家族と一緒に居られることが唯一の幸せであることが分かった。

それ以来、誰も旅行に行こうとは言い出さない。
楽紀が亡くなって13年経つ今も・・・

犬を飼うと云うことは、ペットでは無く、家族が増えることだ。
言葉は理解出来るが、話すことが出来ない家族が増えるのだから、それだけの覚悟は必要だと思う。

そして、粗相をしても不始末をしても、その「最中か3秒以内に怒る」をルールとした。
3秒以内は厳しいルールで、怒ったことは無かったと云うよりも出来なかった。

歯が痒くなるころ、家内の指を甘噛みしていた時に力が入ったのか強く嚼んでしまった事がある。
「痛い」と言いながらも家内はそのまま嚼ませていた。
楽紀は家内の顔を見上げて、悪い事をしたのだと悟ったようだ。
それ以来、口の中に指を入れて「嚼んでもいいよ」と言ってもけっして嚼まなくなった。

カーペットは2枚台無しになったが、見つけた時には時間が経っていたので怒らなかった。
オシッコマットでトイレが出来たときは思いっきり褒めてやった。
それ以来、ほぼ失敗は無かった。
怒ることよりも、褒めることで犬は「良いことをした」と察するようだ。

先に逝ってしまったが、16年半ずっと子育てしていたように感じる。
亡くなって13年経つ今も、思い出しては笑いを誘い、目頭が熱くなることもある。
楽紀は想い出という財産を残してくれたのだ。

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